女王国時代の倭人は入れ墨をしていたのか?
2025年月2月19日時点での考察
ど素人ですので、他人の意見を聞く度 今までの考えが大きく変わります。ご容赦ください。
魏志倭人伝では、倭人は【男子無大小、皆黥面文身。】と記載されていますが、前文の女王国までの道筋の文面から急に話が変わっています。まるで昔の物語を記載しているかのようです。【自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。】【夏后少康之子、封於會稽、斷髪文身、以避蛟龍之害。今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。】【諸國文身各異、或左或右、或大或小、尊卑有差。】ここまでの文章は、漢の時代からこのように伝え聞いている。くらいのことでしょう。倭人全員の特徴ではなく 一部の種族を表しているようです。縄文人は入れ墨をしていた事が証明されていますし、弥生人は入れ墨文化は有りません。記紀などを見て見ましても 黥面文身 の記載は見当たりません。縄文人と弥生人の混血が進む過程で 徐々に入れ墨文化は廃れて行ったと思われます。中華思想で 入れ墨をしている者達は 蛮人と思われていて、卑弥呼の時代に中国に使者としていく者は入れ墨をしていなかったと思われます。ただ、生口を壹与が中国に送った記載から まだ食人の習慣は残っていたと思われます。記載に生口と奴婢を使い分けしている。褒美に生口を与える事から 生口の内臓に薬のような効用感じていたのではないだろうか?江戸時代でも首切り役の山田浅右衛門も 死体から取り出した内蔵で膨大な財を成していたと知られている。隋王がたった数人の生口と粗末な草木染の反物を貰って喜んだのは、隋の時代は少なくなった生口文化を余命短い王に差し出した点が大きく評価されたのではなかろうか。その後の倭人からの朝貢では 生口を多く差し出している。長生きの倭人の血が滴る肝臓は貴重なものだったかもしてない。
【倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣】この記載は、倭国が九州を含めた温暖な地方だと分かる。
【計其道里、當在會稽東治之東】この記載が、不思議である。緯度的には、鹿児島あたりとなるが、当時の情勢を考えると 少しでも呉の東の海と云いたかったのであろう。
魏志倭人伝の記載は、バラバラな時代を繋ぎ合わせて記し、本当の倭国を記載したとも思われないが、断片的には 調査した形跡があるので 迷わせる所以となっている。